ポーランドは、観光地としてはイタリアやフランスなどにに比べるとあまりメジャーではありません。しかし今回、この国を選んだ理由はアウシュビッツ強制収容所を見たかったからです。世界の負の遺産と言われるこの収容所をこの目でどうしても見たかったのです。しかも、この安さでツアーに参加できるのも大きな魅力でした。さらに、原油安でサーチャージも安くなっていたし、ショッピングも琥珀などを安く買えました。
日数 | 時間・日程 | 観 光 先 | 宿泊地・ホテル |
1日目 | 11:45 関空発 15:10 ヘルシンキ着 18:40 ヘルシンキ発 19:25 ワルシャワ着 |
フィンランド航空にてヘルシンキ経由でポーランド・ワルシャワへ向かいます | ワルシャワ CAMPANILE 泊 |
2日目 | トルン | ●世界遺産・トルン散策 | ポズナニ NOVOTEL CENTRUM泊 |
3日目 | ポズナニ シヴィドニツァ |
●ポズナニ観光 旧市街広場 ポズナニ大聖堂 ●シヴィドニツァ 世界遺産・平和教会見学 |
クラクフ NOVOTEL CITY WEST泊 |
4日目 | クラクフ アウシュビッツ強制収容所 ビルケナウ強制収容所 |
●世界遺産・クラクフ観光 ヴァヴェル城、聖マリア教会、ヤギェ ウォ大学、中央市場広場、バルバカ ン、シンドラーの工場 ●世界遺産・アウシュビッツとビルケナウ強制収容所 |
クラクフ NOVOTEL CITY WEST泊 |
5日目 | ヴェエリチカ ワルシャワ |
●世界遺産・ヴェエリチカ岩塩抗見学 ●世界遺産・ワルシャワ観光 聖十字架教会 ショパン博物館 |
ワルシャワ CAMPANILE泊 |
6日目 | ワルシャワ 13:05 ワルシャワ発 15:45 ヘルシンキ着 17:25 ヘルシンキ発 |
●世界遺産・ワルシャワ観光 旧市街市場広場、バルバカン、ゲットー英雄記念碑、 キュリー夫人の生家、ワジェンキ公園、水上宮殿 |
機中泊 |
7日目 | 9:55 関空着 | 帰 国 |
このような事情があって、私たち全員がビジネスクラスの搭乗となりました。エコノミーとは全然違います。足を伸ばせて、シートも水平になります。こんな贅沢をしていいのでしょうか?!
ヘッドホンも違います。高級感に溢れています。料理は、食器から違います。
衣類関係です。左と中央は、ヘルシンキの空港で買ったもの。ベビー用の上着が約9,000円..。ベルサーチの女性用上衣が約12,000円。「セールとはいえ、ベルサーチが日本でこの値段で絶対にない」(同伴者)らしいです。右端はクラクフの土産物店で44.90ズロチ(レシートで確認)。旅行中、ずっと被っていました。
ワルシャワ観光の後、13時05分発ヘルシンキ行きの機上の人となりました。
ワジェンキ公園のショパン像。
こちらは、キュリー夫人博物館。夫人の生家でもある。
王宮広場。少し霧がかかって神秘的。
翌日もワルシャワの観光が続きます。写真は、水上宮殿。
ショパンが愛用したピアノなどが展示されている。
こちらは、ショパン博物館。
この日の午前は、世界遺産のヴィエリチカ岩塩抗の見学です。地下を掘り進んだ塩の採掘場跡です。写真右下は、見学コースのハイライトになっている「聖キンガ礼拝堂」。すべて塩の結晶でできています。ここの撮影だけは有料で、お金を払ってシールを貼ってもらわないと撮影できません。
オプショナルツアーからホテルに戻るとツアーバスの運転手さんが、「クラクフの街まで送るよ」と言ってくれました。ラッキー!!好意に甘えて夜のクラクフ旧市街に繰り出しました。写真左はライトアップされた聖マリア教会。右上は、織物会館。下は、中央市場広場のオープンカフェ。買い物もゆっくり楽しめました。帰りはタクシーです。
監視塔から見た敷地内。
収容者が使っていたベッドが残されている。
ガス室です。シャワーだと偽って裸の収容者をここに集めて毒ガスで殺したところです。内部の撮影は、さすがに禁止されています。
収容者の中でも著名人は、ここで銃殺されたそうです。献花が絶えません。
上に並ぶ写真は、オスカーシンドラーの工場です。私がまだ若かった頃、「シンドラーのリスト」という映画を見たときの感動は今でも忘れられません。多くのユダヤ人の命を救ったシンドラーのホーロー鍋工場跡が、今は博物館として蘇っていました。
ヤギェウォ大学の回廊
クラクフの旧市街への入り口、フロリアンスカ門
3日目、4日目はクラクフに連泊です。写真は、ノボテル シティ ウエスト ホテル。綺麗な満月が夜空に浮かんでいました(写真左)。
写真は、ポズナニの旧市街地です。ホテルを出てすぐだったので時間が早く、店もほとんどが閉まっていたので、ここでもお土産は買えませんでした。写真下段右側は、昼食のレストランときのこスープ。
3日目は、あいにくの小雨の中での観光です。写真は、ポズナニ大聖堂。
● 3日目 (ポズナニ、シヴィドニツァ)
到着後は、ワルシャワに宿泊です。カンパニールホテルはカジュアルな部屋で決して広くはありませんが、朝食は種類も多くパンがとても美味しかった。
※ 為替レート : 1ズロチ=37.34円
つづいて、ビルケナウ強制収容所です。アウシュビッツからバスで5〜6分。線路が収容所の中へとつづき、収容者たちは列車に乗ったまま収容されるのです。建物は監視塔。
左は琥珀のブレスレット。ホテルの琥珀専門店で約12,000円。右は、琥珀のペンダントトップ。クラクフのジュエリーショップで約3,800円でした。
午後からは、オプショナルツアーです。今まで参加したツアーでは、オプションはほとんど入れずに自由時間を楽しんでいましたが、今回だけは参加しました。写真は、アウシュビッツ強制収容所の入り口です。内側から撮影しています。収容者たちは、「働けば自由になる」と書かれたこの看板をどんな気持ちで眺めたのでしょうか・・・。
添乗員さんからの”悲しいお知らせ” |
いよいよ日本に帰る時がやってきました。帰りは往路の逆で、ワルシャワからフィンランド(ヘルシンキ)を経由して関空に向かいます。順調に行程をこなした今回のツアーでしたが、ヘルシンキで関空へ向かう乗継便を待っている時、館内放送で我々の添乗員さんが呼び出されているのが聞こえました。何だか不吉な予感がしたのはボクだけではなかったと思います。でも、そんなことも次第に忘れ、空港では皆が最後の買い物に懸命でした。 というのは、余ったポーランドの通貨・ズロチを持ち帰っても使い道に困るからです。そしてしばらくして、やっぱり添乗員さんから参集がかかりました。そして、開口一番「みなさまに悲しいお知らせがあります」と切り出しました。「航空会社で不手際があり、座席がブッキングしているようです・・・・」。しばらく間を空けて「それで・・・。・・・、全員がビジネスクラスで帰ることになりました!」 その瞬間喜びの余り、「わ〜」と叫ぶ声が湧きあがり、我々東洋人の集団は完全にその場で浮いた存在になっていました。私たちは、ビジネスクラスの搭乗口に並び直し、ボクとしては、人生最初で最後(?)のビジネスクラス搭乗となりました。 |
ヴァヴェル城
● 4日目(クラクフ、アウシュビッツ))
フィンランド航空は、今回初めて乗った航空会社です。「ヨーロッパまで最短」と宣伝しているだけに関空から10時間25分でヘルシンキに到着です。食べて飲んで寝ているうちに着陸体制に入っていました。映画や音楽を楽しむ時間はありませんでした。さらに、ヘルシンキからポーランド・ワルシャワまでは、1時間45分です。2回の機内食はいずれも美味しくて、とても快適で満足できる機内でした。
雑貨関係を並べました。左からアウシュビッツの売店で購入したカタログ。日本語版もちゃんと用意されていました。その右の本はホテルのロビーに値札を付けて置いてあったもの。フロントへお金を添えて持っていくと困ったような顔をしながら意味不明の言語を連発されました。結局お金と引き換えにこの本を手に入れましたが、後でよく考えると売り物ではなかったようです。お客さんがロビーで読むために置いている本で、たまたま値札がついていたものだったのでしょう。フロントのおじさん、ごめんなさい。困らせてしまって・・・。
写真中央は、クラクフの土産物屋で買ったつまようじ入れ(17ズロチ)。写真右端は、帰りの飛行機でもらったビジネスクラス客用のポーチ。歯ブラシや肌の乾燥防止用のクリームなどが入っていました。こんな物までもらっていいのかな〜と思いながら有り難く頂いて帰りました。
● 5日目(ヴィエリチカ、ワルシャワ)
午後は、ワルシャワの観光です。
写真は、聖十字架教会。この柱の下にショパンの心臓が埋葬されている。
城壁の外から見たトルンの街並み(写真左)と翌朝のホテル「ノボテルセントラム」(ポズナニ)での朝食。
トルンは、天文学者コペルニクスが生まれた街です。旧市街は中世のままの姿を残しています。私たちが歩いていると、東洋人が珍しいのかジロジロとよくみられました。お土産店やファションの店も多くありましたが、人通りも少なく閑散としたイメージです。昼食にはポーランド伝統のスープ「バルシチ」がでました(写真右上)。薄味で特に印象の残らない味です。
あっという間に関空到着です。家のベッドより良く寝れました。
上の写真は食料品を並べています。左はスーパーで買った蜂蜜(16.90ズロチ)とコーヒー豆(8.99ズロチ)です。中央は、ヴィエリチカ岩塩抗で買った食塩(15ズロチ)。そして右端はワルシャワの空港で買ったチョコレート(54ズロチ)です。慌てて買ったのでこんなに高いものとは思いませんでした。ちなみに後でレシートを見ると消費税は23%でした。
幸運にも日本の方が現地ガイドにあたってくれました(唯一の日本人ガイド)。人類の悲しい過去を丁寧に解説して下さいました。
収容所内は、このような棟がいくつも並んでいます。
午後には雨も上がり、世界遺産のシヴィドニツァの平和教会の見学です。プロテスタントの教会を作ることを許されたもののその制約が厳しく、木造でしかも釘を一本も使わず建てられた教会だそうです。