ファティマの奇跡について

「ファティマの奇跡」とは、今から約100年前にポルトガルのファティマというところに聖マリアが現れたという話である。聖マリアはこの時、三つの予言を行ったが、そのすべてが的中していることが近年になって分かっている。
このような聖マリアの出現説は、世界のいたるところに残されているが、「ファティマの奇跡」だけは、バチカンが正式に認め信仰の対象としているところが、他の出現説とは一線を画している。

1 聖マリアの出現
聖マリアは、三人の小さな羊飼いの子供達の前に突然現れた。1917年5月13日正午ごろのことである。三人の子供達は、小石を集めて小さな家を建てようと遊んでいた。その時、異常現象が発生した。「突然、一条の光が輝き、驚いて家に帰ろうとした三人を今度は閃光が包み、そして太陽よりも光り輝く一人の婦人が現れた」のである。そしてその婦人は、小さな羊飼い達に祈りの大切さを伝え、これからの5ヶ月間、毎月13日のこの時刻にここに来るように告げた。この不思議な体験をしたのは、次の三人の子供達である。
○ ルーシア(女)〜1907年3月22日生 当時10歳
○ フランシスコ(男)〜1908年6月11日生 当時9歳
○ ジャシンタ(女)〜1910年3月11日生 当時7歳
※ルーシアと他の2人は従兄弟同士で、フランシスコとジャシンタは兄弟。【写真右(ファティマの観光資料より)】

2 聖マリアのお告げ
聖マリアは、3人に対して、「このことは、一切口外しないこと」と口止めしたものの、一番年少のジャシンタがついに母親に喋ってしまった。心配した母親達は、次ぎの「13日の出現日」に一緒に出向くことにした。その時、母親らが目にしたものは、目が眩むほどの閃光とシイガシの木が大きく揺れ動いたこと。そして、3人の子供達がシイガシの木に向かって静かに聞き入っている姿であった。聖マリアは、子供達に自分はロザリオの聖母であることを説明し、そしてここに聖堂を建てるように話しをした。そばにいた母親達には、聖マリアの姿は見えず、声も聞こえなかった。この不思議な出来事は、徐々に街の人々にも広がることになり、8月13日の「出現日」には、地区長が混乱を避けるため、3人の子供達を「約束の場所」に行かせないようにした。このため8月に限っては、聖マリアは19日に出現している。

3 最後の出現
10月13日の聖マリア最後の出現時には、およそ7万人の人々が集まった。その中には科学者や新聞記者なども当然含まれていた。その中で、かろうじて見つめることのできる銀色の円盤のような太陽が、炎の輪のように渦巻きながら地球に落ちてきた。この現象は、遠く離れた地域でも確認できるぼどの光量であった。当時、新聞でも大きく報じられたという。

4 聖マリアの予言
聖マリアは、出現時に様々な予言を行っている。
2回目の出現日である6月13日には、フランシスコとジャシンタが間もなく「天に召される」と早くも予言し、実際にフランシスコは1919年4月4日、10歳の時に自宅で亡くなった。続いて、ジャシンタも1920年2月20日、病気による痛みに苦しみながら9歳でリスボンの病院で亡くなった。
また、7月13日の出現の際には、三つの予言を行っている。その一つは第一次世界大戦の終結。その二は、第二次世界大戦の勃発。そして、その三つ目については、長い間秘密裏にされてきた。これを「ファティマの秘密」と呼ばれている。唯一生き延び、その後シスターになったルーシアは、修道院の勧めによりその第三の予言を書き残すことにした。そしてその文章を入れた封筒は1960年まで絶対に開封しないことを約束にバチカンに保存されることになった。当時のローマ教皇パウロ6世は、この文章を読んだとき、恐怖のあまり失神したと言われている。パウロ6世は、1967年5月13日にルーシアと共にファティマで第三の予言の内容を発表する計画を立てたが、発表は急遽取りやめになり、さらにその公開を長年拒み続けたことから、第三次世界大戦の勃発やローマ教皇の終焉を予言しているなど、色々な憶測が流れることになった。

5 第三の予言
謎に包まれた第三の予言については、2000年5月13日にローマ教皇が発表することにより明らかになった。。その内容は、ローマ教皇の暗殺に関する予言だった。しかも、この暗殺事件は1981年に発生したヨハネ・パウロ二世に対する暗殺未遂事件のことだと発表した。実際、ヨハネ・パウロ二世は、ローマのサンピエトロ広場でトルコ人男性から銃弾を受けた。しかし、弾は心臓からわずか数ミリのところで止まり、一命を取り止めている。このことにより、ヨハネ・パウロ二世は、聖マリアの予言を覆すさらなる大奇跡を起こした偉大な教皇として注目された。

6 大聖堂
1917年以来、ファティマには世界中のいたるところから、何千という巡礼者が訪れるようになった。大聖堂は1928年に建築が始められ、1953年10月7日に献堂された。

(ポルトガル旅行の際の添乗員の解説とファティマの観光資料【写真右】を基にまとめたものです)

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